セルフ美容コラム

【気になる】職業・美容家とは?~その道のプロに自分を最適化する方法を学べ!~』

美容家の濱田文恵です。みなさまは、美容家とはどのようなお仕事か、ご存知ですか?

現在は知名度が上がっている職業、「美容家」ですが、その詳しい仕事の内容までは分からない……。という人も多いのではないでしょうか。そこで今回は、美容家とは何かとご紹介すると共に、近代美容を作り上げた美容家「山崎靖弘(せいこう)さん」、「柴山兼太郎さん」、「メイ牛山さん」についてご紹介したいと思います。

美容家の世界

美容家とは、普段どのような事をしているのでしょうか。その実態はみなさんにとって、あまり知られていないと思います。前半は、美容家の世界をのぞいてみましょう。

美容家になるには?

美容家になるにはどうしたらよいでしょうか。まずは、そのプロセスが分かりませんよね。実は、美容家という資格があるわけではありません。では、何をもって職業・美容家というのでしょうか。驚くべきことに、“自分は美容家である”と、名乗るだけで良いのです。であれば、誰でも美容家になる事ができるのでしょうか。

そんな事はありません。

少々美容に興味があるという程度では、たとえ名乗ったとしても収入を得るのは難しいでしょう。美容家には、総合的な美的センスが求められるため、その知識は一般の方とは比べ物になりません。

例えば、基礎化粧品やファンデーション、チーク、リップなどのコスメ一式から化粧ブラシやパフといった備品を、普段から網羅的に使いこなしています。おそらく、美に力を注いでいる人の多くは、自分好みのカラーやメーカーについては詳しいでしょう。しかし美容家は、たとえ自分好みでなくとも、新製品が発売される度に購入し、研究しているのです。

それだけではありません。

コスメや備品の成分や効果など、美に関する多くの知識を常に蓄えているのです。中でも頂点に立つ「カリスマ」と呼ばれる美容家たちは、化粧品開発をしているメーカーと対等に議論し、より良い商品開発に携わるほどのレベルにあります。美容家は、名乗るだけなら簡単でも、実際はなかなか狭き門になっていますね。

美容師やメイクアップアーティストとは何が違うの?

美容家というのは、美容師やメイクアップアーティストとはまた違います。仕事内容は多岐に渡り、メイクだけではなく髪型や体内美容などからも潜在的な美しさを引き出す事が求められます。美というものを多角的に捉え、美を持って私たち一人ひとりの人生をより幸福で豊かなものにする、これぞ、美容家の神髄と言ってよいでしょう。

女性が自信を持って生きていく上で、喜びとなるエッセンスを加える、というのは素敵なお仕事だと思いませんか?

美容家が人気を集める理由

美容師などの関連職業もある中、とりわけ美容家が人気を集めているのはなぜでしょうか。注目すべきは、美容家の客観性にあります。美容家というのは知識面や経験の他にも、自己をいったん離れ、客観視する精神性を持ち合わせていなければ、人気を得る事はできません。美容家は、自分が好きな商品を単純にあてがうのではなく、顔のパーツや配置、カラーバランスまで考え、その人のベストを見出しているのです。時には、自分好みではない色や質感を提案される事もあるでしょう。ところが、美容家の手にかかった瞬間、今までの常識が崩れ、新たな自分を再発見できたという方も少なくありません。

魔法にかけられるとは、まさにこの事ですね。

近代美容を作り上げた美容家たち

日本で第一号の美容学校創設者 山崎靖弘(せいこう)さん

「美容を志すものは人格、医学的知識、技術の三つを備えたプロの職人たれ」

はじめにご紹介したいのが、日本で許可第一号の美容学校を創設した山崎靖弘(せいこう)さん。当時女性がつくことのできる職業はまだ少なく、社会的自立が困難だった時代に、「女性も職業人として技能を身につけ、社会的に自立を」と唱え、大正二年四月に東京市本郷区竹町十七番地(今でいうお茶の水駅近くの順天堂大学病院近くの高台あたり)に東京婦人美髪美容学校(後に、お茶の水美容学校と改められる)を創設した方である。

人物紹介

明治十二年夏、東京本郷生まれ。十二歳で羅紗(ラシャ)という毛織物の一種を取り扱う問屋で働き始め、二十歳を過ぎた頃には支配人となる。二十四歳で紳士服を仕立てる洋裁店を自身が生まれ育った本郷町で開業。その三年後には、髪結いの仕事をしていた黒川信子さんと結婚をする。この二人の出会いが、先ほど紹介した美容学校の創設に繋がったのです。創設した美容学校の生徒は常時二百人を超え、住み込みの弟子も八十人ほどいたそう。髪結いの結い上げ法のほか衛生学、化学、頭部解剖学の必修授業をはじめ、クシやハサミ、手ぬぐい、足袋への消毒も徹底としていました。

美容家山崎さんの信念

時代劇などに出てくる女性の髪型を高島田と呼びますが、この高島田を10分で結い上げるほどの腕前を持っていた山崎さんは、「目隠しをして着付ける」、「利き手ではない手で髪を結い上げる」といった競技大会を催し、ユニークな授業をして生徒たちを驚かせていたそうです。おそらくその背景には、大正十二年九月一日に発生した関東大地震の影響で、自身が創設した東京婦人美髪美容学校が炎上した経験があったからでしょう。もし、仮に何かあった時に目が使えなくなっても、利き手が使えなくなっても、仕事をすることができるプロ根性を鍛えて欲しいという山崎さんの想いだったのかもしれません。やがて、昭和十三年、銀座二丁目近くに全面ガラス張りの美容院「オリンビア」を開店。順風満帆と思えた山崎さんでしたが、その後戦争時代への突入により、東京婦人美髪美容学校を手放すことになります。疎開した先で何とか再起を目指すが、後に愛娘がかの天才作家とも称される故人太宰治を無理心中をはかるなど、過酷な晩年を過ごすことになってしまうのです。山崎さんは昭和三十二年に亡くなるのですが、その前年までミシンを踏んでいたという。まだ女性に産婆の職しかなかった時代に、「女性の社会的自立と手に職をと唱え」、それを実現するために髪結いの技術を教える学校を創設した山崎さん。今では、私たちが美容を学びたいと思えば、美容一つとっても数えきれないほどの業種があり、さらにそれに合わせて学べる学校もあります。時代に翻弄されながらも、学校再建を諦めずに晩年を過ごした山崎さんの信念が今美容を学ぶ私たちの環境を作り出したといっても過言ではないですね。

エステの先駆け!美顔術の始祖 柴山兼太郎さん

昭和四年11月中旬、空前の葬儀と称され、沿道を埋め尽くす参列者によって見送られた柴山兼太郎さん。アメリカの生理学者ドクター・W・キャンブルーより学んだフェイシャルマッサージを導入し、日本の美顔術の始祖とされている方である。

人物紹介

明治六年七月、肥後生まれ。武士の子であったが、幼少期には神奈川の床屋さんに養子として出されます。十三歳で理髪店のお手伝いをはじめるが、小さな町の床屋の将来には期待できないことから、今の中華街である外人居留地により賑わっていた横浜にやってくる。当時の横浜といえば、断髪発祥の地として国内初の洋式床屋があり、腕の知れた理髪師が何人もいたそう。その中でも、「カミソリ定」の異名で知られていた松本定吉に弟子入りをする。弟子入りと言っても、いきなり松本氏より技術を教えてもらえた訳ではなく、初めのころは早朝から深夜まで雑務をこなし、冬にも関わらず毎晩250本ものタオルを手洗いするなどの雑務がメインだっただろう。過酷な弟子をこなしながら、初歩的な技術を一つずつ懸命に覚え、時には自分の膝小僧をお客様の顔だと思い、削る練習にも励んだ記録が残っている。その努力が功を成し、師匠の松本により外人屋敷へ修業に送られ、やがて外人屋敷の理髪師に昇格していった。

美容家柴山さんの信念

二十二歳で独立し、横浜に理容店「日之出軒」を開業。お店はたちまち繁盛し、日本人のみならず外国人さえもが通う繁盛店となる。そこで、二年後の明治三十年には、山下町にて外国人専門の理髪店「パレス・トイレット・サロン・シバヤマ」を開店。同時に婦人部も設け、今日では日本の美容室の始まりだと言われている。柴山さんは海外の新しいものにも柔軟で進んで輸入していた。大正十年代には柴山式の「角アイロン」や「縮毛矯正アイロン」を開発している。明治三十八年、美顔術の始まりとされるアメリカの生理学者ドクター・W・キャンブルーと出会う。彼は自分は血行療法をメインとしたマッサージを研究していて、日本においても今後必要になるでしょうと言い、柴山さんから関心をもらう。その後柴山さんは自身のサロンの店先に「フェイシャルマッサージ」の看板を掲げた。これが日本における「フェイシャルマッサージ」の店頭表示第一号となる。大正元年、美顔研究の成果を集めた『実用美容術指標一名学理的化粧法』を刊行した。美顔術を学びたいもののバイブルとなり、昭和四年までに七刷を重ねた。その後、柴山さんの娘である柴山みよかさんにより、新しい知見と技術が加えられ、『正則美顔術』としてまとめられることになる。※柴山みよかさんは現在の日本エステティック協会の創立者です。

5年も10年もかけて習得した技術をを持ちならがも、技術の独り占めをすることなく、日本全国を自分の足で周り、技術の普及にも勤めたのだとか。一説によると、少しばかりの講習料で、貴重な技術を教えるのはいかがなものかと業界で反対する人もいたそうだ。しかし柴山さんは「業界全体の利益発展になることだから」と技術も知識も出し惜しみしなかったという。時代を超えて一大産業ともなったエステ業界の今は、村の床屋に見切りをつけ、外国人で賑わっている横浜に夢を託した少年時代の柴山さん の惜しまない努力と日本ではまだない外国の最先端美容への柔軟な姿勢の賜物と言えるでしょう。

全身美容の提唱者!メイ牛山さん

昭和の初めには全身美容の大切を提唱し始めたメイ牛山さん。

人物紹介

明治四十四年、山口県防府生まれ。本名は牛山マサコ。塩業を営む家に生まれる。美容を志す原点は母親の働く後ろ姿に美しさを覚えたことだった。後に、裁縫専門の防府技芸女学校に進学。大都会に憧れ、十八歳で東京に住む叔母の家に上京。上京二年の月日を経て、当時東銀座にてハリウッド美容講習所(現在のハリウッドビューティー専門学校の前身)を経営していたハリー牛山さんに弟子入りをし、住み込むようになる。ここで、米仏の最新美容術(ハリウッド式メークアップ、マーセルウェーブ、一般教養)を学んでいく。美容講習所での学びを終えると、ハリー牛山さんより「ジュン牛山」の名前をもらい、ハリウッド美容室を任される。ハリー牛山さんの前妻がなくなった翌年には、ハリー牛山さんよりプロポーズを受け、結婚。牛山夫婦になった後には、横浜、福岡、大阪、名古屋、上海にもハリウッド美容室を出店していく。自身の好みをあしらったウェーブやカールを組み入れた作品を次々と発表し、「2代目メイ牛山」を襲名する。

美容家メイ牛山さんの信念

前述で紹介した二人の美容家同様に、牛山夫妻も戦争に翻弄されていく。例えば、太平洋戦争が本格化したころ、カタカナだったハリウッド美容室は「牛山美容室」に改名させられたり、昭和十九年、東京空襲が本格化したころには、ハリーさんの故郷、長野県諏訪に移住を強いられる。戦争が終わった三年後、メイさんはひとり東京に再上京し、翌年の昭和二十四年の夏、当時の東京・霞町一番町地にハリウッド美容室が再誕生する。美容室には最新の全身美容を行える浴槽が注目を浴びる。三階で再開した美容講習所は、厚生省よりハリウッド高等美容学校に指定される。

「美の天使の卵たちが大きく羽ばたけるように育てたい。」そのため「生徒の心に火をつける」教育と理想としたそうです。昭和二十九年より、昭和六十一年までの間に夫のハリー牛山さんとともに、アメリカ、フランス、ドイツ、イタリア、イギリスなどを訪れ、まだ日本にはない全身美容、美顔術、ワックス脱毛などを学んでいった。

この海外への視察によって、「顔の美しさだけに頼らない、内面の人間的魅力を引き出すメイク」を提唱すると、自分の目指す方向性を見出していくことになる。昭和四十年、メイさんが五十四歳になったころ、アメリカより最新の機器を取り入れたハリウッドビューティーサロンに新しくした。その後は、サロンのみならず、化粧品工場や研究所を創設し、「ハリウッド化粧品」とオリジナルの化粧品も生んでいくこととなる。昭和五十一年に、夫のハリー牛山さんが末期の膵臓がんを患ったことをきっかけに、肉中心の食生活から四季折々の菜食を取り入れた食生活に変えていく。今日の美容では、見た目の綺麗作りだけではなく、内側のケアや精神的な部分もケアすることが本当の意味ので綺麗作りだとされていますが、当時はまだまだ美容とは外側を綺麗に装飾することだという考えが強かった時代だったでしょう。その中で、メイさんは美容と健康が表裏一体で、皮膚・体・心の三つを基本とする「三大排泄美容・SBM理論」を提唱し始めている。平成十五年に、六本木ヒルズに地上12階、地下3階のハリウッドプラザを創設。 ヴォーグニッポン内にて、ココシャネルと同様に、世界のパワフルウーマン100人に選ばれている。

美容家を志す人々に伝えたい!美容家になるための心意気

悩む前にまずは行動してみること

美容家のみならず、美容の道を目指す方の中で、よく耳にするのが「自分にできるのかな」という言葉。確かに、机上の理論を学ぶだけではなく、エステ、ヘアメイクなど実際に手を動かす技術も学部必要があり、さらに現在の美容家に至っては、人々に自身の考える想いを伝え、さらに共感してもらい憧れられるようなカリスマ性も求められることもあるため、挑戦したくてもなかなか一歩が踏み出せない方もいることでしょう。しかし、今回ご紹介してきた三名の大御所である美容家は、美容を学びたくても学ぶ場所や、学ぶ材料がまだ乏しかった時代にも関わらず、自分が置かれた境遇も環境も言い訳とせず、自らの力で美容の道を切り開いていったわけです。それに比べると現代の私たちには、美容について学びたいと思えば、専門とする学校もあれば、本に至っては何万とも言える美容本もあり、動画やネットでも様々な美容法が発信されています。実際に、美容の道が自分に合うかどうかはやって見なければ分からないものです。それも、1ヶ月や半年でわかるものでもなく、何年もかかって、美容を通じて、誰かを幸せにすることの本当の楽しさを知り、自分自身似合うかどうかが分かるのではないでしょうか?楽しさを体感する前に「できないのでは?」、「合わないのでは?」と思ってしまうのは非常にもったいないことです。もし美容の道を志しているのなら、まずは先人の美容家達のように行動して見ましょう。

自分のコンセプトは突き進んでいく内に見えてくるもの

すでに美容の道を進んでいる方の中には、「自分の強みが分からない」、「自分のコンセプトが分からない」という方もいるでしょう。しかし、今回紹介した美容家のメイ牛山さんだって、自分の方向性には自信をもったのはすでに五十代の頃のこと。そして美容と健康について提唱し始めるのも、七十七歳になった夫の病がきっかけでした。美容家というのは、美容を通して人生を豊かにすることができる存在です。そういった意味では、学びの道に終わりはなく、一生学んでいくものです。自分の強みや自分のコンセプトは、見つけようと思って見つけるものではなく、自分のやりたいと思ったことに貪欲に行動し、目の前にあることにひたすら突き進んでいった先に見えてくるものではないでしょうか?今、自分の進むべき道に迷いがある方は、自分の強みやコンセプトを考える前に、「そもそも、自分が美容の道を志した理由は何だったのか?」と原点に一度立ち戻り、まずは今あなたを必要としてくれる方のために、少しでも美容の学びを深め、技術を磨くことに徹して見ると、その内自ずと見えてくるかも知れませんよ。

現代女性に伝えたい!時代を問わず大切にしてほしい最も基本的な健康美容法

さいごに、女性の社会進出、スマートフォンやPCの常用化などで体内バランスを崩しがちな現代女性に先人の美容家から現代の美容家にいたるまで共通してきた、これだけは絶対に意識して欲しい美容法をいくつかご紹介したいと思います。どれも特別なことをするのではなく、毎日の生活の中で少し心掛けるだけでできるものなので、ぜひチェックして見て下さいね。

湯船に浸かる

美容家が実践している美容法には様々なものがありますが、中でも入浴時に工夫をしている方々が多いです。入浴は多くの汗をかくことから、デトックス効果やダイエット効果を期待する事ができます。まずは、湯船に浸かる事が大切です。その際、入浴剤やアロマなどからヒーリング効果を狙うのもよいでしょう。そして入浴後は、飲料や基礎化粧品が体に浸透しやすくなります。飲料やコスメの効果を最大限に発揮したいなら、土台作りから、という事ですね。また、美容家の中には、洗いすぎない事を推奨している方もいます。乾燥肌の方は特に洗いすぎない方が良いようで、シャンプーも毎日する必要がないという美容家もいます。実際に、シャンプーを使わず、お湯だけで洗う「湯シャン」も流行っていますよね。個々の状況に合わせて、取り入れてみるのもよいかもしれません。

十分な睡眠を取る

美容家の多くは睡眠も重要視しています。よく、寝ないと太ると言われていますよね。実際、寝ないと翌日の食欲が増してしまうそうです。具体的には、最も成長ホルモンが分泌される、眠り始めの3時間に熟睡する事が大切なんだとか。朝日と共に目覚めるためにも、12時前には就寝したいものですね。また、良質な睡眠を取るためにも、自分に合った枕を用意したり、空調を整えたり、照明を工夫したりしてみましょう。入浴も、就寝の2時間前には済ませたいところです。さらにその2時間前に、夕食も済ませられれば理想ですね。

食べないダイエットはしない

美容家の多くがおすすめしているのは「心と体(健康)のバランスを保つために食べる事」です。食べないダイエットをしていると、心と体のバランスがいつか崩れてしまいます。ですから、体に必要な栄養素をきちんと取り入れながらダイエットする事が大事だと言います。負の感情の中から美は生まれないというのは、共感できる方も多いのではないでしょうか。美容家に学ぶというのは、ある意味、生き様を取り入れる行為に等しいのかもしれません。お気に入りの美容家を見つけて、今後の自分の参考にしたいものです。こうして見ると、やはり、美容のためには規則正しい生活習慣が必要不可欠のようです。健康な体が健康な心を育み、精神バランスを整えた先に美が待っているというのは、私たちが知っていてもなかなか実績できない事ではないでしょうか。美のすべては健康から始まると言っても過言ではありません。

今回ご紹介したもの以外にも、日常生活の中で実践できる美容法は、たくさんあります。取り入れてみたい方法があれば、実践してみるのも良いでしょう。プロの意見を取り入れ、応用していく事で、より一層美しさに磨きがかかりますよ!

まとめ

今回は、美容家とは何かご説明すると共に、近代美容家を作り上げてきた「山崎靖弘(せいこう)さん」「柴山兼太郎」「メイ牛山さん」(※敬称略)にフォーカスを当てて、ご紹介しました。美容家は、多岐に渡る美容の知識と経験を活かし、私たち一人ひとりに合った美を作り出す、その道のプロです。美容について研究し、トレンドをおさえながらも自己を見失わないその姿勢が時代を問わず人気を集め、出版本は今や、美の道を志す人々のみならず美を追求する多くの女性のバイブルになっています。まさに、時代を先取っていく美容のプランナーと言えるでしょう。今回ご紹介した美容家さんたちをはじめ、現代を生きる美容家さん達には各々コンセプトとするところが違いますから、美容の仕事に就きたい方は、師匠とすべき尊敬の美容家を見つけ、美を追求する女性の皆さまは、お気に入りの美容家を見つけ、プロの意見を取り入れてみてはいかがでしょうか。

ABOUT ME
濱田 文恵
濱田 文恵
一般社団法人日本セルフ美容協会® 代表理事 自身のニキビ肌をセルフ美容で克服した経緯を経て”キレイ”は自分でも作れることを啓蒙するため一般社団法人日本セルフ美容協会®︎を設立し、理事を務める。 その傍ら中国にルーツを持つことから、中医美容・薬膳養生・漢方薬にも精通し、独自の東洋と西洋を組み合わせた美養法の提唱している。著書に、最年少美容家までの道のりを赤裸々に綴った「運命をこっそり変える」(セブン&出版)がある。